表現の自由

日常生活の鬱屈を晴らしたり
不平不満を言いたてたり

愚痴る手段として
表現はあるのでない

しかし
それでも

表現するということは
解放であるに違いない

日常や
現実や
身体や
世界からの

解放なのに違いない

だから
表現は自由でなければならない
表現が束縛されるものであってはならない

現在
誰もが勘違いしている

表現の自由を国家が保証するものだと考えている

それは違う
全く違う

国家以前に表現は自由である

時に表現が
他者に迷惑をかけたり
深刻なダメージを与えたり
犯罪とされるものであったとしても

そこに踏み込むか否かは
表現者の決断であって
国家が判断するものであってはならない