小さな世界のために15

 生まれて初めて社会と接点を持ったのは、保育園であった。

 記憶など、ほとんどない。それは暗黒に彩られていた。保母たちは、常に気だるそうなやる気のない態度で、子供に対して露骨に嫌な顔を見せた。

 昼寝の時間を、わたしは禅寺の道場として連想する。眠らない子供は叩かれ、泣き叫ぶ子もまた叩かれた。体を動かしたら喝を入れられるかのように。

 それは昼寝というなの死んだふりであった。恐怖に震えながら、目を閉じ、獲物として虐待を受けないように、時が過ぎるのを祈った。今でこそ、幼児への虐待が社会問題になるが、昔の保育園にそんな気配などない。子供とは従属させる存在であり、言葉など通じないものであって、型にはめるには暴力しかないのだった。

 わたしは数日通っただけで、保育園へ行く前に泣きじゃくった。朝は憂鬱であった。地獄送りにされる前の朝食など喉を通るはずもない。何度も何度も泣いて、行きたくないと叫び続け、ついに私の願いは叶った。保育園に行かなくても良くなったのだった。それはドロップアウトの始まりであったかもしれない。だから、今でもドロップアウトしているわたしは、その何もない身の上に安住できるのかもしれない。

 大人になり、選挙権を得て、かつて通った保育園の廃園が選挙の争点になった。わたしは迷うことなく廃園を公約に掲げる政党に投票した。できることなら、あそこで働いていた保母たちを地獄送りにしたいといまだに思っている。