小さな世界のために5

 にゃーにゃ。

 幼き日の母の呼び方。それは猫をもじったもの。

 猫が好きだった。その佇まい、静かさ、我がままさ、群れをなさない自由な個のあり方。

 子供の頃には、野良犬がいて街を徘徊していた。彼らは人を襲うことはなかったが、興味本位で近づいてきて、わけもなくまとわりつく。それだけ恐怖を覚えた。

 反対に猫は、人を警戒し、近寄っても愛想を振りまくようなことはなく、時に軒先から食べ物などを盗み、弱者でありながら厄介ものとして疎まれていた。

 一匹の茶トラの猫が近づいてきた。わたしを見ると寄り添い、背中を撫でさせてくれる。餌をやるでもなく、それだけの関係が数カ月間あった。しかし、私にとっては、猫という存在を感知する全てであった。今でも猫に好意的なのは、あの茶トラのためである。現実に猫を飼ったことはなく、これからも飼えるはずもないが、猫と暮らしたいという欲求は、いつまでも私の中にあり、おそらく消えることはないであろう。

 いつしか、猫と暮らしたいために、猫という存在を己の内に取り込み、私の中には猫が住み着いている。猫の真似をしたり、猫に憧憬したり、にゃあと闇夜で一人鳴いている。傍目で見れば、滑稽というより、おぞましさを孕んだ恐怖をもたらす異形の姿を晒しているが、それもまた私なのだ。