人はいつでも被害者になれる

メディアの記事で

よくある事件

 

ハラスメントを受けた

その後

あの時の記憶が蘇ってきて

いまだにまともな社会生活が送れない

 

トラウマ

 

こんな記事を読むたび

傷が疼く

 

場合によっては

反感すら覚える

 

誰にでも

思い出したくない記憶の

一つや二つはあるだろう

 

日頃

そんなトラウマを

 

忘れよう

忘れよう

 

気にしないようにしようと

心がけているのに

 

トラウマに悩まされて

訴訟したり

辛さを訴える記事を見ると

 

自分の心の傷が

掘り返されてしまう

 

傷を

過去を

 

引っ張ってくれば

いくらでも

人は被害者になれる

 

被害者であるという事実と

被害者でありたいという無意識が

結びつき

 

おぞましい暗黒の扉が

開かれる

 

被害者だからと

声を上げる

人を罵る

 

謝罪しろ

責任を取れ

 

そりゃあ

知らんぷりしていた

加害者が悪いでしょう

 

声を上げなければ

無視される

 

そんな不安と怒りが

被害者に宿っているのでしょう

 

それは分かる

理解できる

 

だが可哀想な自分を

語る必要はない

 

自分で自分を

被害者に仕立て上げる

 

そんな必要はない

 

人はいつだって

被害者を演じ

被害者という特権に

甘んじていたい

 

可哀想でいるうちは

甘美に酔っていられるから

 

だが

それは歪んだナルシシズム

醜悪な自己愛にすぎぬ

 

その臭さに気づかない

鼻の腐った犬になりたくないから

 

過去に拘泥せず

前を向こうと

あがくのだ

 

過去の人の咎を

責める以外

何もない

 

空っぽには

なりたくないのだ

 

過去から一歩も踏み出せず

苦しいだけで

他に何もない人生なら

 

いっそのこと

殺してしまえ