小さな世界のために10

 酒。

 10代の後半には飲んでいた。それはタバコと同様に、大人の振る舞いを真似て背伸びをしたいという誰もがもつありふれた動機だった。

 格好つけるというには、酒は相応しくない。だが、酒の場が醸し出すだらしない会話を好んだ。ダラダラといつまでも続くたわいない無意味な時。酔って喧嘩もすれば、忘れて二日酔いの頭を抱える。しかし、前日の高揚が残り、独り言を繰り返したり、叫んだりする。そんな時は必ず自己嫌悪が伴った。

 週に二日は吐いていた。検査のたびに、胃が傷んでいると言われた。酔いが回る前に、胃が悲鳴を上げて吐くのだった。それでも飲み続け、食道が裂けて、救急車で運ばれた。茶色のコールタールのような血が何度も吐き出された。痛みに加え、悪寒と震え、死の恐怖が頭をよぎった。それでも痛みが収まると飲んだ。若かりし日の飲酒は、なかば義務であり、苦行であり、勉強と同じように己に課した宿業だった。

 歳を取ってから、吐かなくなった。頭まで酔いが回るようになり、酩酊の心地よさを味わえるようになった。それは人生が傾いていくのと反比例するように、身近でもっとも親しい快楽となる。

 酒に体が馴染む感覚があった。飲んでも気持ち悪くならないので、さらに飲んだ。そして飲まれた。飲むたびに記憶が虚ろになっていく。飲むだけ飲んで何も覚えていない。いや、断片的には覚えている。しかし、それがつながらない。

 警察の留置場で起こされた時も、何も覚えていなかった。だが、昨晩の怒号や断片的な記憶が、フラッシュバックのように浮かんでくる。良いものもあれば、悪いものもある。しかし、それは編集で切り捨てられたフィルムの断片にしか過ぎず、文脈などない。後になり、虚ろな頭で、文脈を補うのだが、それは常に悪い方向にしかつなげない。ひどい自己嫌悪と卑下。自信の喪失。のみならず、このまま死にゆく己の無力に対する恐怖さえ、酒は植えつけることになった。

 

 

小さな世界のために9

 路地の夜に渦巻く気配は、欲望と警戒、嬌声と恐怖であった。

 角に立つ街娼たち。取締の日には、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。それを私服の警官と思しき男性が走って追いかける。

 どこからか女の悲鳴が聞こえた。男の怒号も。

 深夜のアパートで、ドアの外で向かい合う男女。ある時は男が女を殴り、またある時は女が男をひっぱたく。周囲などお構いなしに、怒鳴り合う声は闇の奥まで響き渡る。

 襲われる女性。自転車に乗り、後ろからカバンをひったくる者たち。

 無法地帯というほど暴力は満ちていなかったが、呑気に夜歩きなど出来なかった。酔って道端で寝る者も、喧嘩で倒れる者も、財布をなくしてさ迷う者もいた。張り詰めた緊張と、縛られない危険な伸びやかさと、自立しなければならないという意思を纏わせる空気が街に満ちていた。

 

 

小さな世界のために8

 路地。

 生まれた家は憶えていない。生まれてすぐに区画整理があったからだ。

 物心ついてから、二十年かけて、家から駅までの区画整理が行われた。わたしの成長に合わせたように、道は広く直線的に置き換わっていった。故に、子供の頃の家の周りには、まだ路地が張りめぐされていた。

 遠くに見える百貨店。クネクネと曲がった道をゆく。何通りもの行き方があり、どれが近道なのか分からない。車など通れるわけもなく、通るたびに夕餉の支度をする匂いが漂い、夫婦喧嘩の声が聞こえる。何度通っても、何度も迷い、街の見え方が変化する。複雑で飽きることのない、怪しげな生き物としての路地。

 今ではきれいで見晴らしも良くなった。いかがわしさも、胡散臭さもなくなっただけ、つまらなくなった。真っすぐで透明性のある世界は、わたしが生まれ育ってきたこの社会の単調化と表層化、そして建前のきれい事に侵食されてきた世相の移り変わりを思い起こさせるものである。

 

 

小さな世界のために7

 吃音は、単に言葉が出ないことではない。

 物忘れや言い回しに困って単語が口から出ない経験は誰にもあるだろうが、吃音は口に出したい単語が強烈に脳裏に浮かんでいる。口に出す一歩手前、いわば口腔内に単語が溜っているのにもかかわらず、外に出せない。結果的に不格好などもりとなってしまう。

 どもった時、笑われるのは珍しくない。それが嫌で口ごもったり、口数が少なくなる。

 相手や文脈によっても違う。どもっても笑い飛ばしてくれたと気が軽くなる相手もいれば、笑い者にしやがって今畜生と恨みを持つ時もある。それは同じ行為を受けても、相手によって嬉しくなったり、セクハラと感じたりするようなもので、心理によって生み出される被害意識でもある。

 今思い出しても、怒り心頭になる顔がいくつか思い浮かぶが、優しさとともに懐かしみたい相手もいる。

 だが、どちらにせよ、たどたどしい言葉を発した後、相手の侮蔑や寛容といった顔色を、怯えながら伺わなければならないという点で、わたしはどもる度に卑屈にならざるを得なかった。

 

 

 

小さな世界のために6

 吃音。

 気づけば、うまく喋れなかった。脳裏に浮かぶ単語を口に出そうとすると、咽頭が緊張し、「イ・イ・イイィー」と引きつった音を立てる。言葉を発しようとすればするほど、力みは増し、ますます歪な吃音が出るのだ。

 失笑をかったのは数知れず。あるいは卑下を、あるいは憐憫を受けたこともあった。言葉を話せない不自由さは、精神を萎縮させ、会話をおそれさせ、人に接する意欲を奪い、いつしか閉じこもることを日常とした。

 小学校では、ことばの教室などと言うところに通わされた。私の他には、自閉症統合失調症、授業に適応できない子どもたちが集まり、同学年の者たちよりも数年も遅れた、児戯にも劣る童謡や遊戯を強いられた。それは己が劣っていることを、今更ながら明らかにするという点で、屈辱であった。

 こんな場所から早く逃げ出したい。同じ学年のクラスへ戻りたいと願ったが、いつまでもその日は来なかった。週に2日、決まった時間に、私だけがことばの教室に行かねばならなかった。それなのに、5学年時の担任は、私がことばの教室に行くことを、「お前の精神が弱いせいだ。お前は逃げているのだ。」とクラスの皆の前で罵倒した。  

 私は行きたくないのに。

 あの愚鈍な大人は、私を負け犬の逃亡者だと決めつけていた。

 このことを思い出すだけで、あの教師に対して未だに殺意を覚える。

 

 

小さな世界のために5

 にゃーにゃ。

 幼き日の母の呼び方。それは猫をもじったもの。

 猫が好きだった。その佇まい、静かさ、我がままさ、群れをなさない自由な個のあり方。

 子供の頃には、野良犬がいて街を徘徊していた。彼らは人を襲うことはなかったが、興味本位で近づいてきて、わけもなくまとわりつく。それだけ恐怖を覚えた。

 反対に猫は、人を警戒し、近寄っても愛想を振りまくようなことはなく、時に軒先から食べ物などを盗み、弱者でありながら厄介ものとして疎まれていた。

 一匹の茶トラの猫が近づいてきた。わたしを見ると寄り添い、背中を撫でさせてくれる。餌をやるでもなく、それだけの関係が数カ月間あった。しかし、私にとっては、猫という存在を感知する全てであった。今でも猫に好意的なのは、あの茶トラのためである。現実に猫を飼ったことはなく、これからも飼えるはずもないが、猫と暮らしたいという欲求は、いつまでも私の中にあり、おそらく消えることはないであろう。

 いつしか、猫と暮らしたいために、猫という存在を己の内に取り込み、私の中には猫が住み着いている。猫の真似をしたり、猫に憧憬したり、にゃあと闇夜で一人鳴いている。傍目で見れば、滑稽というより、おぞましさを孕んだ恐怖をもたらす異形の姿を晒しているが、それもまた私なのだ。

 

 

小さな世界のために4

 生まれ落ちて、最初に覚えていること。

 それは手の甲で眼を擦ることだった。眠りから覚め、目の周りについた乾いた目やにを擦ると、ジャリジャリとした感触が伝わる。その味わいは蠱惑的で、いつまでも止めることができない。

 今でも起きたら必ず、毎日、子供の頃から刑務所の中まで、この行為は続いている。

 それは無意味であると同時に、生きることと同義であり、私の人生の始まりから続いている儀式である。